友人の数

2017/12/16

人は皆自分の弱さを隠したいだけだ。

ただ、それだけのために誰かと過ごしてる。
何かを盾にして自分を見せなくして、弱みを握られないように。
そのくせ誰も自分をわかってくれないと言う。
ああ、ただの難癖にしか過ぎないのはわかっているが、やはり言わずにはいられない。
どうしてそんなにわかってもらいたいのだろうか。
俺には理解しかねる。
友達が多い方がいい?
その人数分に自分の時間を削っていった挙句、時間がないやらなんやら言い出すのに、どうしてそう言えるのか。
友達が少ないとかわいそうとかいうのは所詮戯言だ。
自分の友人の多さを周りに誇示したいだけだ。
まぁ、大概のやつらは知り合い程度の存在だろうけどな。
そもそも一人ずつ自分の時間を分配したとして、どう足掻いても多人数より少人数の方が多く時間を回せる分、友好的にもなれる上に互いを自分の生活の一部に思わせることで、離れられないようにすることができる。
昔から量より質と言われてるように、所詮数撃ちゃ当たるの思考では狙撃手に脳天ぶち抜かれて終わるだけだ。
友人作りが戦ではない。
友人の数を言い合うこと自体がそもそも意味のないことなのだ。
火のないところに煙は立たない。
わざわざ火種を作る意味もなく、自分の友好スキル(笑)を押し付け合う様は見てて滑稽である。
片方を謙譲的に扱わねばならないあの空間はひどく息苦しいだろうに。
あんなところにいては俺は気を使いすぎて界王拳すら使えまい。
誰か仙豆くれ。
そもそも友人が自分の時間を調節することができない障害となってしまうのなら、俺は必要のないものだと考える。
故に、世に言うウェイ系のやつらは自分を管理することもできないゴミである。
逆説的に、ぼっちは自分の時間をいつでも最高に有意義に過ごすことができ、他人と競い合うことに気を使わなくても良い素晴らしい存在である。

ぼっち最高。
まぁ、ひとりぼっちは寂しいものだ。
暇だし、やることもない。
だけどただ言えるのは、
友人を失う悲しみなんてものは感じなくてもいい。
ただそれだけが、今の救いである。